英語研修講師である私自身、AIを使う際に一番気を付けていることがあります。それは、AIだからこそ配慮と礼を尽くすということ。日常的にAIを頻繁に使うということは、対AIとリアル対人コミュニケーションとの境界線があいまいになっていくことでもあります。「感情を持たない機械だからおざなりに扱っても構わないだろう」___このスタンスが対AIだけの話であればまだ良いのですが、たとえ機械であっても、やりとりする相手をないがしろにする態度は、きっと森羅万象、どこかで同じ態度を私たちは人間にもやってしまうような気がするのです。人間に対する「ああ、やっちまった」をなくすためにも、日々のAIコミュニケーションを丁寧に見つめ直してみませんか?
目次
1. 対AIで磨く対人コミュニケーションとは?
AIにこそ配慮と礼義を!
この感覚、AIのヘビーユーザーであればなんとなくわかっていただけるのではないでしょうか?
AIは、感情のない機械(今のところは…)ですから、多少ぶっきらぼうな質問であっても丁寧に応えてくれます。もちろん御礼など言わなくても、気にせずに回答してくれます。人間であればかなり気を使って依頼しなければならないようなハードワークでも、文句ひとついわずにやりとげてくれます。
でもやはり怖いのです。
もしもAIに横柄な態度やそっけない態度をとっていたら、いずれそれは、生身の対人コミュニケーションにもそんな態度が出てしまうのではないか、ということです。
そこで、私はAI使用時間を「情報を得るためだけの時間」から、「対人コミュニケーションスキルを磨く時間」に考えを変えることにしました。以下、その具体的なやり方について見ていきましょう。
2. 「AIに聞けば大丈夫」は本当か?
AIで磨く対人コミュニケーションスキルの一つ目は、「質問力」です。
私自身、AIに対して、1回の質問で満額回答を得られるよう、それなりに事前に練ったものを投げるようにはしています。しかしそれでも、やはり思った通りの回答が返ってこないことがあります。そういう時は、質問のしかたを変えたり、言葉を補ったり、自分が欲しい回答のフォーマットや回答の具体例などを補うようにして、再度質問するようにしています。
その際、「私の質問の仕方が至らなかった」というような断りを入れると、AIも同様に丁寧な返答をしてくれますし、前回以上に満足度の高い回答をしてくれたりもします。
そして、誠心誠意の回答をしてくれたAIに対して、そのはたらきを労い、高く評価するような返答をしますと、AIはそれにも真摯に答えてくれます。こうしたやり取りは機械相手とはいえどもとてもすがすがしいです。
つまり、「AIに聞けば大丈夫」というのは、ユーザー側の精査や再質問などの労力と組み合わさってこそ実現されるということです。AIには失礼ですが、決して一回目の回答を鵜呑みにしてはいけないということです。実際に自分でもネット上の他の情報と照合したり、AIに対して、「私が調べたら●●で、あなたの回答とは違った」と正直に伝えると、AI側にミスがあったときは、AIもそれを素直に認め、反省してくれます。もちろん私の方が間違っている時は、何ら忖度せず、ストレートにその旨を伝えてくれます。
相手方と相反する意見を交換することはコミュニケーションとしては上級レベルだと思いますが、日頃からAIを相手にやっておけば、いざ生身の人間と直面することになっても、あわてずに済むことでしょう。
また、「鵜呑みにしない」というスタンスは、AIに限ったことではありません。活字だから、著名人だから、公的な情報だから、メディアが言うことだから、と鵜呑みにせず、自分なりの精査を心掛けることは、これからの時代さらに必要不可欠な情報リテラシーになろうかと思います。
【デジタル時代に身に着けておきたい情報リテラシー】
3. 「AIは頼れない」は本当か?
AIのヘビーユーザーである私自身、いっとき、AI不信に陥ったことがありました。それは、あまり日本人に知られていない領域について質問をしたとき、ことごとく嘘の情報を提示してきたときでした。一回目の回答は、まさに私が求めていた情報で、私は上気して、さらに質問を続けました。「自分でググってたらたどり着けないレアな情報にもアクセスできる」という感動にひたっていました。しかし、その情報があまりにも私を喜ばせてくれるものだったので、私はその回答をちょっと疑い出しました。そして自分でも調べたところ、どうもそんな事実はないことがわかってきました。そこで私はAIに対して再度質問しました。「私なりに調べたけれど、そういう事実はなさそうです。あなたはどこからその情報を得たのでしょうか?」と。するとAIからは、私が調べた通り、虚偽の報告であったことを認め、謝罪と反省のコメントが返ってきました。
実は、私は、こうしたやりとりから、「だからAIは頼れない」という結論ではなく、「ユーザー自身、AIの回答を鵜呑みにせず、自分でも調べ、違うときにははっきりそう伝え、かつ、自分の意見の根拠となる情報源も提示して、AIとやり取りを重ね、互いに納得する結論に達するようにしよう」という結論に至りました。
というのも、確率論で言えば、圧倒的に欲しい情報が得られる可能性の方が、誤情報のケースよりもはるかに高いからです。ユーザーがしっかり検証することさえ怠らなければ、AIは頼もしい「知的生産の友」なのです! また、こういうケースは、「短絡的にかつ感情的に相手を責めず、冷静にお互いの納得解を探っていく」コミュニケーションスタイルを育ててくれます。私自身を含め、どうも対人コミュニケーションが苦手だと言う方は、ぜひAIを相手に、「建設的な意見返し」の練習をされるとよいのではないかと思います。
4.「AI使いこなせてない」は本当か?
文明の利器を使いこなすことはカッコイイ。使いこなせないのはカッコ悪い。これはAIや英語にも通じるような近現代人の深層心理であるように思います。私は英語講師になってからずっと言い続けているのは、「ツールはどこまでいってもツールに過ぎない」ということ。時代が変われば流行ツールも変わる。しかしどんな時代でも「そのツールに載せる中身が一番大事」という鉄則は変わりません。今回はAIの上手な活用術がテーマではありますが、私は、ユーザーの環境やスタンスによっては脱AIや超AIというスタンスがあってもよいと考えています。
AIの台頭により、「英語使いこなせてない」コンプレクスへの対処法も変わってきました。それは、「AIを併用して自分の英語力をタイパ良く向上させていく派」と、「AIのさらなる進化に期待して、英語学習を断念する派」です。
実際、研修終了後のレポートには、ごくごく少数ではありますが、後者の戦略を決める学習者もいます。いつまでも英語コンプレクスをひきづって中途半端に学習を続けるよりも、むしろ潔い考え方であるし、加速化する技術革新に委ねるというのも、ある意味理系人材ならではの発想だと感心したことがあります。(私の指導対象の9割が理系人材です)
AIであれ英語であれ、そもそもそれを自分のキャリアや業務に取り込んでいくのか、見切りをつけて違う路線を行くのかは、個人でも部門や業務内容でも違います。結局、私たちの前には、具体的な学習以前に、「そもそもそれをやる必要はあるのか?」という根源的な問いが立ちはだかります。もちろん、AIリテラシーや英語リテラシーの向上を目指す研修の存在意義を考えれば、この問いにあまり時間はかけられません。まずは一通りAIであれ英語であれ、触ってみた上で、運用濃度を決めていけばよいと思います。いずれにせよ、AIも英語も絶対不可欠な存在ではなく、運用の主導権は私たち人間が握っているということだけは忘れずにいたいものです。これはやがては、主体的な働き方、主体的な学習、主体的人生にも通じる本質的な問いでもありますので。
5. 脱・AI・英語コンプレクス目指す英語研修
AIは、どれだけ優秀であっても、英語同様、所詮ツールに過ぎません。コミュニケーションの現場では、アナログの方がうまくいくことはたくさんあります。また、無理に英語でやらずとも、日本語を介在させた方がうまくいくこともたくさんあります。弊社研修では、AIも英語も大いに活用しつつも、アナログの効用、日本語の重要性も同じくらいウエイトを置きます。
いっとき、DXが雨後の筍のようにビジネス界を席巻したことがありましたが、今はだいぶほとぼりから覚めたような印象があるのも、「それ、無理にDXに落とし込む必要性はあるんだろうか?」「DXは決して魔法の杖なんかじゃない」「デジタル化によって事務作業が増えるなんて本末転倒じゃないんだろうか?」など、人間としての全うな直感を取り戻してきている表れでもあるように思います。
また昨今の世界情勢を「情報戦の真っただ中」ととらえるならば、アナログの価値、オフライン的コミュニケーション(広くは、スプリンターネットをはじめとした、グローバルなネットワークからの戦略的遮断まで)などについても学びを共有しておくべきでしょう。
【グローバル人材育成の一要素としておさえておきたい”情報戦”】
英語にもAI同様、それなりの戦略で臨みたいものです。とかくペラペラ話すのがかっこいいと思われがちですが、ペラペラは【口を滑らす】にも通じるので要注意です。若かった頃、立て板に水で、英語でまくしたてたまでは良かったものの、外国人の取引相手に明かしてはならない内輪の情報までペラペラ言ってしまい、上司から大目玉をくらったこともありました。また、通訳さんの存在を忘れ、やはり内輪の事情を話していたら、そのまま通訳され、情報が相手にただ漏れだった失態もしました。
英語学習中は、「なんとかして英語で話したい」に意識が向かいがちですが、ひとたびビジネスや駆け引きとなると、「どこまでは英語で言って、どこからは英語化してはいけないか」といった線引きも必要です。もちろん自動翻訳もデータとしてグローバル企業に流れていくことを考えると、AIツールの使用にも一定のルールは敷いておくべきでしょう。これはそのまま日本語ベースでの対人コミュニケーションに直結します。つまり、「今、ここでこれは言うべきか否か?」とワンクッションを置き、ときには発言を留保し、適切なタイミングを待つスキルが養われます。
以上のことから、今後のAIや英語は、「何が何でもそれを使えるようになる」から、「戦略的に使用を控えることも含めた上での運用リテラシーを社員間で共有しつつ、運用スキルを磨く」という発想も必要になることでしょう。
情報と言えば、「いかにして伝えるか?」「どのようにして入手するか?」に目がいきがちですが、これからの時代は、「伝えるタイミングをはかる」「情報の拡散を防ぐために、言葉を慎む大切さ」も同じくらい学ぶ必要がありそうです。
こうした時代背景を考慮すると、ビジネス英語とはいえども、多くの人と交換したり、時に自動翻訳ツールなどを使っても支障のない、「個人的な趣味や関心事」「企業内の込み入った事情から離れた一般的な世間話」といった話題を扱った方が、安心して英会話や英文ライティングが展開できるのではないかと思います。実際、各自の関心事でのレポーティングは、受講者の方も饒舌になるので、ライティングもスピーキングもどちらも成長は急カーブを描くようです。
更に、受講者の英語学習歴をたどると、【英語=きりのない暗記科目】【英会話⁼きりのない表現ストックの蓄積】というイメージが学習意欲のネックになっていることも多く、定型表現の完コピよりも、各自の既存英語資源を活用し、英語を自由自在に組み立てていくパラフレーズ(言い換え)も英語発話にはかなり有効です。
【脱暗記の決め手としてのパラフレーズ】
6.属人的スキルに切り込む英語
ここで自学副教材として並行利用できる通信講座をご案内します。研修は何よりも実体験重視であるため、実体験をさせて浮上した受講者たちの疑問やコメントに講義的なアドバイスを載せるようにしています。単なる知識としてAの講義を展開するよりも、受講者から「実際にAをやってみたが、うまくいかなかった。どうすればいいか?」という質問を受けてからAについて講義する方が自分事として聞いてもらえるからです。
とはいえ、知識体系としてとりあえずビジネススキルを概観しておくことは、将来実践の場面に遭遇する際にも役立ちます。「いきなり英語で交渉しろと言われて頭が真っ白になった」ではなく、「いきなり英語の交渉に直面することになったが、おおよそのイメージはできている」という状況に受講者を誘導しておくことは十分可能です。それが以下に紹介する通信講座です。プレゼンテーションに関するビジネス書は割と多いのですが、問題はネゴシエーションの方です。著者である私も、製作にあたり、ネゴシエーション英語の参考書を探したのですが、ほとんど見当たらなかったため、自分自身の体験を、経験の有無にかかわらず誰でも応用できる10個のテクニックに落とし込みました。本来であればベテランの個人的体験によることが多い「属人的スキル」を可能な限り組織内で共有できる「形式知」に変えることを目指したのが、本通信講座と言えます。
【本ブログ著者監修のプレゼンテーションの通信講座(ガイダンス動画)】
【英語でビジネスコミュニケーション実践編:プレゼンテーション・ネゴシエーション(詳細情報)】