簡単・簡潔・わかりやすい「日本語コミュニケーション」~英語教育の現場視点から

ブログ著者の私は英語講師ですが、今回のテーマは「簡単・簡潔・わかりやすい日本語コミュニケーション」です。というのも、英語研修で痛感するのは英語以前の「日本語コミュニケーションの重要性」だからです。実際に英語研修の終盤戦で振り返りをしていただくと、「英語以前に、日本語で考えをまとめることが大切」「伝わりやすい英語の根底には簡潔な日本語がある」といったような感想をよくいただきます。適宜、英語エッセンスも織り交ぜながら、今回は、簡単・簡潔・わかりやすい日本語コミュニケーションについて見ていきましょう。

 

目次

 

1.簡単・簡潔・わかりやすさの関係

1)「簡単」とは?

コミュニケーションのゴールを、伝達者の意図を受け手に伝えることとした場合の「簡単」とは、そのコミュニケーションが「誰にでもできるものだということです。特定の熟練者でなくてもできる、ちょっとした心がけでできるということです。

 

なぜこの「簡単」が重要かというと、円滑なコミュニケーションの根底には、当事者のこれまでの人生で体験したあらゆる要素が含まれており、経験が豊富であることが優位に働き、経験値の低い人が不利になりがちだからです。

 

しかし、若手に英語を教えている私を含め、自分よりも人生経験の少ない者を相手とする場合、熟練に頼らない「簡単な」コミュニケーション術が理想です。そして、簡単だからこそ、誰でも「簡潔」に伝達できて、その結果相手に「伝わりやすくなります。つまり、「簡単」は、上記図のように円滑なコミュニケーションの出発点だと言えます。また「簡単」であることは、誰もがその気になればできるということでもあるので、「コミュニケーションのすそ野を広げる」ことにもつながります。

 

2)「簡潔」とは?

「簡潔」を実現させるためには、ある意味、完璧主義を捨てることでもあります。100伝えるべきことをそのまま100カバーするのではなく、その中でも優先順位の高いものを10に絞り込むイメージですね。ここで達成することとしては、100人中95人に納得してもらえること。一方、犠牲にしてしまうのは5人の不満や誤解です。

 

この「簡潔」について私には悩ましい一方、受け入れざるをえないことがあります。それは授業における学生への様々な指示です。

 

まさに100人に簡潔な指示をしたつもりでも、必ず5人ぐらいは指示を取り違えたり、こちらが想定していない反応をしたりするのです。おそらくコミュニケーションを人間が扱う以上、これは致し方ないことなのかもしれません。実際に誤解が生じる度に、指示のやり方を工夫し続けるしかありません。こうなってくると、最初の「簡単」という要素から離れてしまいますが、決してそういうことではありません。これまでの経験から得られた教訓を可能な限り「言語化」して、他の教員と共有する、つまり「誰にとっても簡単」はある程度カバーできることだと思います。

 

3)「わかりやすい」とは?

熟練者でなくとも実行できるぐらい簡単で、受け手の多くが理解できるくらいに簡潔な指示は、受け手にとって「わかりやすい指示」ということになります。ここで得られる一つの結論として、何らかの指示を行う場合、いきなり「わかりやすさとは何だろう?」と悩む前に、「それは特別な熟練者でなくてもできる指示か?」「それは全員あるいは少なくとも対象者の8割以上は同じように理解してくれるだろうか?」というセルフチェックの必要性が浮上してきます。

 

わかりやすいかどうかは、説明者側の説明スキルだけでなく、受け手側の背景も決定要因となります。私が企業研修講師デビューしたばかりの頃の話です。TOEIC個人レッスンにおいて本人の希望もあり、知識さえ詰め込めば得点源となりそうな文法問題を徹底的に演習しました。教えても教えても、本人もがんばってもがんばっても、模試ではそれなりの成果が出せても、いつもテスト本番では不本意な結果が出てしまう不思議。一通りのレッスンが終了したあとで、本人から最終学歴の話を聞かされ、中学レベルの英文法がほとんど学べていないことを打ち明けられ、やっと謎が解けました。

 

当時の私に自分自身アドバイスするとしたら、「かみくだいた説明」や「論理的説明」以前に、生徒さんが自己開示しやすい空気を作ること。わかりやすく説明しているつもりでも、「これだけかみ砕いたら普通わかるだろ?」みたいなオーラは出さない方がいい。「わかりやすさ」を探求するにあたり、言語的説明の工夫だけでなく、受け手側に過度な緊張を与えない配慮も非常に大切であることを私は学びました。

 

2.効果的コミュニケーションの具体策7選

ここから、具体的に簡単・簡潔・わかりやすいコミュニケーションの実現方法について見ていきましょう。便宜上「簡単・簡単・わかりやすいコミュニケーション」を「効果的コミュニケーション」と呼んでいきます。

 

1)目的の共有をしつこく

先述の通りミスコミュニケーションの根絶は難しいけれど、軽微なレベルに下げることは十分可能です。その第一歩が目的の共有です。実際のところ、教育現場でも、日々の細々した指示や課題の目的を明示、共有する限り、多少の食い違いには、講師、受講者共に寛容になります。私自身、かなりガサツな人間なので、目的の明示と共有に、私自身が助けられています。また、教育現場では、時に指示内容が複雑になると、細部に意識が取られ、肝心の「そもそもなぜそれをやらなければならないか?」が伝わりにくくなることがあります。

 

たとえば「単語を10回、ノートの罫線に合わせて書いて提出」という指示を出すことを想像してみましょう。このままですと、10回という回数、ノートの罫線に合わせるという様式に意識が向かい、「9回しか書かなかった。1回書き忘れたからやり直し」「罫線からはみ出てるからやり直し」というようなことも発生するかもしれません。また、仮に全員が指示通りやってくれたとしても、その結果単語を覚えたのかどうかはわかりません。

 

そこで、この課題の目的は何なのかを考えます。もしこの課題の目的が「単語を覚えること」にあるのであれば、そもそもこのような細かな指示は不要で、「教科書5ページの単語を次回の授業でテストするから各自それぞれのやり方で覚えてくるように」で済みます。またテストによって学習効果を測定することも可能です。もちろん、その覚え方がわからないという受講者がいる場合には、詳細な学習法を提示すればよいでしょう。ただ、詳細なやり方を提示しつつも、各自にそのアレンジや選択の余地を残しておけば、、各自が各自に合った学習方略を模索することでしょう。

 

2)AIの限界を共有する

昨今、自動翻訳やAIなどが大いに幅を利かせ、英作文などの課題において、英語的な細かなミスは以前に比べるとほとんどなくなりました。逆に露呈されるようになったのが、論理的な整合性、内容の深堀といった、英語以前の日本語での思考の質です。英語教育界においては、英文自体は全く問題がないのに、「何が言いたいのかわからない」レポートが逆に簡単に生成される時代の到来です。英文としては文法的な間違いがないものが生成されるため、自前で英作文をしていた時代よりかえって論理的整合性の検証がおろそかになり、「わかりにくいけどそれなりの英文になっていること」に甘んじてしまい、実のあるコミュニケーションから離れてしまいます。

 

同様な懸念が日本語コミュニケーションでも十分に考えられます。私自身、日々Chat GPTをよく使うのですが、AIが打ち出した回答のボリュームや説明内容に一見うなずきそうになるものの、よくよく調べるとかなり事実と違うことが判明することが多発します。おかげで、どんな回答も自分で一度疑い、自分で調べる癖がつきました。最近は時代の流れに逆行し、最初からAIを使わずに、自分自身で色々思考し模索するようになってきました。言い換えると、人間が打ち出した「わかりにくいけど嘘は言っていない」発言と、AIによる「とてもわかりやすいけど嘘を言っている」発言では、まだ前者のほうが「まし」です。というか後者は危険すぎて、コミュニケーションにおける禁忌と言ってよいでしょう。

 

ただ、たまたま私が遭遇する若者に限ってのことなのか、少なくとも私の周囲の若者は、私よりはるかに「AIに対する冷めた目」を持っているようなので、この点は私自身あまり深刻にはとらえていません。実際学生たちに、AIについて見解を求めると、だいたい大人が期待するような答え(つまり、AIを過信せず、自分の力で英語を発信すること)が返ってきますから、これは関わり合う個人個人でお互い共有すれば十分なのかもしれません。

 

とは言え、英語学習におけるChat GPTの活用の道は色々ありますので、試行錯誤を繰り返して、付き合い方の最適解を探っていくことになるのかもしれませんね。ただ現在のところ色々課題があるため、誰もが「簡単に」活用するまでにはもう少し時間がかかりそうですが、さしずめ英語教育者や英語上級者が慎重に扱えば英語学習に活用できる段階にあると言えます。

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3) 煩雑と簡潔の力学

英語講師、あるいは各種英語学習教材の役割は学習者になるべく学習してもらうこと。とある企業において、英語学習を促進するEラーニングを導入したのに、なかなか利用率が上がらないことがありました。ヒアリングすると、英語学習以前の「アクセスの仕方がややこしくて、ただでさえ面倒くさい英語学習の前に、気持ちが萎えた」という問題が浮上しました。とにかく複雑な指示は、英語学習を阻害しますから、英語教師にとって、簡潔明解な指示は不可欠。教材もシンプルアクセスが鉄則。これは英語教育以外のビジネス全般にも言えるのではないでしょうか?「煩雑さはあらゆるモチベーションの敵」です。

 

私自身、とあるタスクの責任者として途中参加したことがありました。すでに出されていたタスクの各種指示が煩雑だったため、このままでは私自身、色々ミスを犯してしまう予感がしました。早速メンバーに進捗を聞いてみたところ、やはり指示は行き届いておらず、ほとんど進捗が止まっていました。そこで、かつてのタスク責任者には申し訳なかったのですが、いったん全指示を白紙に戻し、タスクの目的をタスクメンバーと再確認・再共有し、指示内容を大幅に簡素化し、簡潔なものに変えたたことがありました。まさに煩雑と簡潔の力学がここで働き、以後、タスクはスムーズに進んでいきました。何か事がなかなか進まないとき、一度、「指示内容が煩雑ではないか?」と疑ってみることをお勧めします。

 

4)たとえ話がうまくいくときとそうでないとき

私自身、たとえ話をよく使うのですが、ときどきたとえ話が通じないことがあります。円滑なコミュニケーションにとって、たとえ話がうまくいく場合とそうでない場合は想定しておきましょう。

 

たとえ話は、コミュニケーション当事者間で、ある程度背景知識などを共有している前提が必要です。一例として、イギリスの金融紙であるファナンシャルタイムズの社説が難しく感じる要因のひとつが、このたとえ話にあるように思います。ネットなどで色々調べてやっとわかるものもありますから、日本語が通じるからわかるとか、英語力鍛えたらわかるようになる、とは違う次元の話だと思います。

 

ところで英語圏のたとえ話に慣れるために有効なのが聖書です。当時多くの人々に理解してもらうために多用されたらしいのですが、時代の移り変わりとともに、後世の人たちにはかえってわかりにくくなったりもします。ただそれでも欧米人の発想や価値観を探る上では非常に有効なリソースであることには違いありません。

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5)マルチタスクのあつかいかた

私自身、新入社員時代、電話応対で苦労しました。電話口で聞いた取引先の名前を忘れたり、他の名前と混同したりして、先輩たちによく叱られました。そこでノートを一冊用意して、氏名、要件、取り次ぐべき社員名を都度にメモをしたものでした。

 

しかし、昨今、これはいわゆるマルチタスク(電話の内容を聞くことと、メモを取ることを同時に行う)のひとつであり、これを苦手とする社員も一定数いるらしいのです。実は英語においても、マルチタスク的な部分があり、それを苦手とする受講者もいます。TOEICパート3と4のように設問を見ながらリスニングするとか、パート7のように設問を先に読み、それを頭に入れながら読むような処理ですね。この場合、同時に様々な処理をするのではなく、ひとつの作業を終えてから次の作業に移るようにアドバイスします。

 

ビジネスにおけるマルチタスクも、とどのつまりは、少しでも早く作業を終わらせたいという指示者側の都合もあるので、ここは関わる人たち各自の事情に合わせる必要があります。

 

6)グループワークか一対一か?

意見や情報の共有を目的としたコミュニケーションの場合、グループワークは多用されます。参加者が多いほど多様な意見に触れられますし、情報量も増えそうです。


ただ、参加者が増えると、少し形式的になり、場合によってはざっくばらんな意見交換が難しくなることがあります。本音に近い意見や、非公式の情報を引き出したいときは、一対一が良い場合もあります。

 

英語教育においても、その場をうまくまとめるようなファシリテーションを体験させたい時にはグループワークを採用します。一方、兎にも角にも発話量を増やしてもらいたいときは、一対一、ペアワークの方が適しています。このあたりもビジネスでの日本語コミュニケーションに応用できそうですね。

 

7)専門用語の扱い方

専門用語はうまく使うと、効果的コミュニケーションの好材料となります。ただ関わる人たちの間で専門用語の理解度は違うので、よほど全員が共有しているものでない限り、その定義は確認しておく方がよいでしょう。専門用語の定義は、それを使う側が説明する場合と、聞く側が質問する場合があり、どちらが率先してもよいとは思いますが、のちのちのミスコミュニケーションを回避するために、「専門用語をはじめ知らないことを尋ねることを恥じない文化」は共有しておきましょう。

 

専門用語を使う側が定義説明をためらう背景として、その職場や業界で浸透しているという認識と、「そんな基本的なことをいちいち説明したらかえって相手に失礼」という気配りもあろうかと思います。一方受け手側が質問できない背景としては、「そんな基本的なことも知らないことが相手に知られてしまうのは恥ずかしい」とか「あとで調べればいいから自分の質問で今の会話を遮りたくない」などの気配りでしょう。

 

「わからないことを聞く」ことはまさに言うは易く行うが難しの世界。ただ英会話をやっていると、この用語の質問こそが、会話を発展させることを体験できます。私自身も、理系学生と英会話する際、彼らの専門領域についてよく質問しますし、他の話題ではあまり話せない学生でも、自分の専門領域だとがんばって解説してくれたりします。日本語コミュニケーションにおいても、「その質問が会話を膨らませる可能性」については関係者間で共有しておくとよいと思います。ただ恥ずかしさという点に配慮するならば、知識量や体験量が多い側が敢えていろいろと質問する姿勢を示すと、若手側は質問しやすくなるかもしれません。

 

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3. 英語圏文化からのコミュニケーションヒント

1)ミッションとジョブディスクリプション


外資系企業で働くと、英語圏ならではの仕事文化に直面します。例えばミッションとジョブディスクリプションなどがそれに該当します。ミッションとは、自社は何のために存在しているのか?自分はどんな点で企業に貢献するのか?といったこと。ジョブディスクリプションは各個人に与えられた業務定義や業務範囲のことです。

 

外資系企業の良いところは、この2つがはっきりしているため、各自がプロフェッショナルとして能力を研ぎ澄まし、企業に貢献できるということです。一方弊害としては、とりわけジョブディスクリプションを硬直的に捉えられてしまうと、隣の部署で問題が発生しようが、誰かが困っていようが、「私の職務ではない」と無関心・無関与の態度で見過ごされてしまうことです。

 

こういう一長一短を見てしまうと、日本企業のように、あまり個人の業務範囲が明確でなく、それとなくオーバーラップしているのも悪くないように思います。ただ、ジョブディスクリプションという大層なものでなくても、各自が担う業務にはそれぞれ「目的」や「最終ゴールの形」があり、それらを明確にしておけば、おのずとコミュニケーションも洗練に向かっていくと思います。

 

2)Most/all/everyに気をつけて

英語を書く時、読む時、most, all, everyは割と気をつけます。なぜなら、そこに強いメッセージがあるからです。ただ、やっかいなのは、時にこれらは主観的で、話し手の強調に過ぎないことがあるので要注意です。

 

Most🟰ほとんどの人、場合、
という時、「多少例外があるのか?」が気になります。
All🟰全て、every🟰皆。
やはり、こちらも全く例外はないのか気になります。

 

この辺りの誤解を回避するためには、「全員ではないが、多くの人が賛同」「6割方が賛同」「満場一致」
みたいに、日本語においても多少表現の工夫が必要です。

 

3)ライティング練習

なるべくハードルを低くし、多くの人たちに効果的なコミュケーションを実践してもらうための諸策について見てきました。ただ、どれだけ簡単なものにかみ砕いても、やはり最終的には当事者自身の「練習量」がモノを言うという側面は避けられません。私自身、あまり「努力」という要素には踏み込みたくありません。それは「簡単・簡潔・わかりやすいコミュニケーション」の「簡単」というところを難しくしてしまう恐れがあるからです。膨大な努力を前提としてしまうと、「簡単・簡潔・わかりやすいコミュニケーション」は一部の熟練者や努力家だけのお家芸に留まってしまい、現場のコミュニケーションの質向上は期待しにくくなります。

 

こいういうことを踏まえ、コミュニケーションはつらい努力科目ではなく、楽しい「練習科目」という発想を持っていただきたいと思います。

 

私自身、日々の英語研修を楽しくやってはいますが、おそらく傍目からはかなり厳しいことをやっているように映るのではないかと思います。ただ私自身も、受講者自身も、「楽しさを追求する」という視点を共有しているので、多少ハードでも、多少面倒でも、そのタスクを楽しみながら乗り越えています。努力のレベルや量は主観によるのであまり議論しても納得解は得られにくいように思います。それよりも、どうしたら楽しく気持ちよくなれるか?にフォーカスしてみましょう。きっと今回ご紹介したこと以外にもたくさんコミュニケーションのコツが見つかるはずです。


たとえば、箇条書きや図解でも構いません。一度、自分の伝えたいことを書いて「見える化」させてみましょう。自分の「伝え癖」や「理解癖」がわかるかもしれません。私自身も、読む時の早合点を改めるためにも、ライティングコミュニケーションはよい練習機会になっています。


4. まとめ


いかがでしたでしょうか?簡単・簡潔・わかりやすいコミュニケーションの習得は、残念ながら相応の配慮と練習が必要。しかしながら、楽しさ・心地よさの探求の延長線上にこれがあると考えれば、それほど深刻に悩まずとも、何らかの納得解が得られそうだということを感じていただけたらうれしいです。

面倒臭く感じる部分もあるかもしれませんが、AI時代だからこそ、AIに丸投げするリスクを認識し、自らわかりやすい伝達スキルを磨くことの価値が高まります。ぜひ日々のコミュニケーション改善にお役立てください。

 

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